おばさんの思い出日記

中高年のおばさんが趣味で書いている個人の体験メモ&日記です。個人の体験(=人生)や考えを否定したい方は陰口サイトでやってね。

賃貸の借りにくさを書こうと思ったら大学寮の話になった

 なんか、この増田の悔しい気持ちがめちゃ分かるので、また感想をつらつらと書いてみる。

 

 何度か書いているが、私は父と祖母と暮らしていたがネグレクトだったので、入学式や卒業式にも来ないし、大学に通うための下宿の手配も絶対に手伝わない。そもそも父親に大学に行きたいなどと言ったら全力で邪魔されるので秘密にしていた。むしろ、全力で邪魔されて行けなくなる可能性が高く、関わってほしくなかったので、大学を受験したことは父親と祖母には絶対に知られてはいけなかった。

 母は悪い人ではないが、お嬢様育ちで世間知らず。 考えたり 読み書きをしたり計算をすることが 極端に苦手(おそらく学習障害)で、相談能力・交渉能力もない。足手まといになることはあっても、頼りになることはない、すでに高校生の時点でそのような関係性だった。賃貸契約の場なんかに連れていったら、恐怖と緊張でパニックになるような人、それが母なのだ。だから部屋を借りるのも自分でやらざるを得なかった。正直、よそのおうちは親がついてきてくれるんだろうな…という妬みはあった。が、それどころではない。

 

 で、誰かに、アパートは大学の学生課で紹介しているはずだよと言われたので、一人で行くのが怖かったので高校時代の友達についてきてもらって、大学の学生課に行った。が、見るからに子供の女子高生二人が来たところで、誰も立ち上がってさえくれない…

私「…(内心:ど、どうしよう…)」

だが、話しかけなければ誰も相手にしてくれなさそうなので、とにかく

「すみません!」と勇気を出して声をかけた。

すると、すごく面倒臭そうに男性職員が歩いてきて

「なんですか?」と不機嫌そうに言った。

「あの、学生課でアパートが借りられると聞いたので来たのですが…」

 

と言うと、また、不機嫌そうに

「物件はそこの壁にいくつか貼ってあるけど、学生会館で生協が不動産の斡旋やってるから、ソッチのほうが物件は多いよ。というか、アパートを借りるのに、親も連れてこないってどういうこと?親がいないと借りられないよ。」と、つっけんどんに呆れたような言い方をされた。

 今考えれば、確かにそうだ。高校生で親がついてきてないのにアパートを借りたいなんて人は、おそらく私一人だっただろう。親がいない人でも祖母、祖父、親戚の叔父、叔母などの、誰かが付き添いで来てくれていたのだろう。だが、私には声をかけても良い大人は一人もいなかった。

 ああ、親がいない、正確に言うと親が役に立たないと、こういう目に合うんだ…と泣きそうになったが、友達がついてきていくれていたので、彼女の前で泣くことはできなかった。

 そこで、私はショックを受けすぎたし、おそらく誰か大人がついてこないと生協とやらでも相手にされないだろうと、生協の不動産斡旋会場には行かなかった。そして、私が、がっかりした顔をしていたのだろう。友達がものすごく気を使って慰めの言葉をかけてくれたような気がする。

 

 そして、どこかで誰かが(恐らくの高校の先生の内の誰か?)が、大学寮なら親がいなくても入れるのでは?と教えてくれて、早速、入寮申込書を取り寄せ、入寮を申請した。だが私は、無理をすれば大学に通える範囲に父と住んでいたので、高校の担任には入寮許可は下りないのではないかと言われていた。なにせ、沖縄~北海道までの学生が集ってくる、当時としては人気の大学だったので、私みたいな家が近い人が入れる可能性は相当に低かった。

 だが、多分だが当時の大学寮は親が貧乏な順が一番優先だったように思われる。なので私の父は無職で世帯収入0なので入寮できた。あの時ほど父が働いていなくて良かったと思ったことはない。

 

 で、入寮はできたものの、それはそれは古くて不便な寮で、なおかつ収容人数が40〜45人程度。今年の広島大学の学生数をみると15000人らしいが、昔はもう少し学部も多かったしもう少し学生数も多かったのではなかろうか。それに対して寮の収容人数が40人って、絶対に女性が大学に来ることを想定してないよね。と恨み節を言ってみる。ちなみに当時でさえ、建物がみすぼらしすぎる、生活まわりの設備が少なすぎて不便だと入学直後の2週間位で、新入生が3人位は退寮していたので、残って住んでいたのは寄りすぐりの貧乏学生たちだった。

 

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 ちなみに私が住んでいた女子寮は京大の吉田寮そっくりです。こんな感じね。仕切りも何もない二人部屋で、備え付けのベッド以外は机を置くスペースしかないので、衣装掛けや冷蔵庫を持ちたい人は廊下に置いてました。

 当然、衣服が盗まれてなくなるということもありました。廊下に置いてしまったらそうなりますよね。私も廊下には盗まれても困らない物しか置いていませんでした。

 大学の中でもよりすぐりの貧乏人が住んでいるわけですから、窃盗ぐらいは想定してました。なにせ、幼稚園時代から人間不信の私ですから。でも、窃盗は1年に一回くらいだったので少なかったほうだと思います。それより、女子寮は不審者侵入と、(エロ妄想で)あえいでいる男からのいたずら電話が異常な回数ありましたね。そっちのほうが大変だった。

 で、学生運動で自治寮になっちゃったので、寮の敷地は自治区ってことで、不審者の侵入とか、お風呂の覗きとか、凄まじい回数のいたずら電話などの犯罪行為があっても、警察が「大学寮は自治区だから入れない。」とか言って来てくれないの。 門の前まで来てくれることはあったけど、そっからは入ってくれないの。かなり恐れてましたよ。学生と自治区を。少なくとも女子寮はそんな時代は終わってたのに、男子寮がまだそうだったから、警察も後々、隣の男子寮の〇〇派に抗議されるのを恐れたんでしょうね。

 

 40人に対して、電話は一台、洗濯機は3台、コンロは2口、台所の蛇口は3口。お風呂に至っては普通の家庭用のお風呂でシャワーもなく、水を追加しながら追い焚きし、洗面器で湯船からお湯をすくって使う仕様。一度に最大3人しか風呂に入っては行けないルールだったが、二人でも、そこそこ狭いので、中を見て2人いたら、もう少し待つようにしていた。狭くて洗いにくいのでね。

 入浴時間は0時までだったが、その頃になると垢が浮いたドロドロの濁ったお湯になっていた。まあ、これは銀行の寮などでもよく聞く話だったね。つまり、全ての事柄を待たねばならず結構たいへんだったよ。

 

 一番たいへんだったのが電話。若い女の子だから、彼氏とかその他もろもろと長話がしたいのよ。だけど、一台しかないから一件5分以内ってことにはなってたんだけど、そういうわけにも行かず、彼氏と長話になったりした人が占領すると、使いたい人から何回もノックされるという状態でした。あ、ちなみに10円とか100円とかを入れるタイプの公衆電話(ピンク電話)でテレホンカードすら使えませんでした。

 ほんで、建物自体が記念物みたいな要素があるらしくて、学生課から壁に穴を開けてくれるな、つまりは個人で電話を引いてくれるなというお達しが出ていたので、個人で電話を引くことができなかった。

 ので、寮のたった一台の電話の争奪戦に負けた時は、外で公衆電話から電話をしていました。んで、しばらくして、公務員試験を受けて合格した寮生に、人事がいくら連絡をしても電話がつながらないという大事が発覚し、電話を引く許可が大学から出ました。

 あああああ、もうぉおおお。その後もアパートを賃貸するのに苦労したのに、寮のとこだけで書きたいことがありすぎて、書ききれない。

 

 男子寮は2つあって、そこにも遊びにいったんだけど、清風寮は2人部屋で、めちゃ不潔で、薫風寮は戦後に焼け残った倉庫を寮にしただけだから、そこそこ広い畳敷きの部屋に仕切りも何もなく6人が布団を敷いて寝ているタコ部屋でした。あ、ちなみに片方は学生運動の過激派で有名な〇〇派の拠点のひとつでした。普通に挨拶してましたけどね。

 

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これが6人部屋のタコ部屋寮の「薫風寮」。今は史跡みたいになってるっぽいです。ココの大広間の飲み会にちょいちょい呼んでもらって参加してました。

 

 あああーもう、不動産屋での苦労を書こうと思ったら、大学時代の寮の思い出を思い出しちゃって話がそれた。が、まあ昔の大学寮はこんな感じだったってお話で許して。そのうち、保証人がいない上に、当時は無職扱いだったフリーターで、しかも女が、いかに賃貸を借りにくかったかは、書けたら書く予定。いつになるかは分からんが。

 話したいことから書いちゃうから、どんどん話がそれていくのが私…ああ、情けない…